祐介先生、牟田さんこんばんは。
以前お釈迦様の話をしました。出家して難行苦行を続けて悟りを開く修行の話です。悟りを得られなかったある日の事、やせ衰えたお釈迦様の姿を見た村の娘、スジャータが木の神様に捧げるはずだった乳粥をお釈迦様に差し出すとお釈迦様は「ありがとう」と言ってその乳粥を食べてしまいました。本当なら修行中にこんなことが起こったらもう一回修行をやり直さなければならないのに、この瞬間にお釈迦様は世の中のすべての悩みや煩悩から解き放たれ「悟りの境地」に入られたのです。お釈迦様が悟りを開く最後の難関は「人のいう事を素直に受け入れる」ということだったのです。こういう事は私達の生活にいくらでもあります。例えばお父さんやお母さんから「こうしたらいいよ」なんて言われた時、「はい、わかりました」なんて素直に受け入れられるでしょうか。「わかっているよ!」もっとひどい人になると「何回言うんだ!」なんて反発する人だっていると思います。こういう人はなかなか悟りを開けないかもしれません。
自分でもわかっているかもしれませんが他の人から見るとわかっているようには見えないからアドバイスしてくれているのです。素直に「はい、そうします」と対応した方が良いと思います。それがその人を何倍もいい人にしてくれるのです。
「はい」という返事は素直に応じるということです。私は「拝」は(おがむ)という漢字を当てています。子どもに言われようと高齢者に言われようと素直に「はい」と応えるのです。拝むという意味が込められているのですから、心を込めて「拝(はい)」と返事をするのです。返事をしている皆さん以上に周りにいる皆さんが「なんて気持ちの良い返事なんだろう」と思ってくれます。
へそ曲がりの人はそんなこと周りの人にどうこう言われたくないなんていう人もいるでしょう。そういう人はみんなから好感を持たれていないと思います。素直な気持ちのいい人には次々にチャンスが巡ってくると思います。
それから夜道を歩くウォーキングの話もありました。最後まで歩ききったら特別なことがあるわけではありません。むしろ「俺は完走したぞ」と、さも偉そうにしてしまうと思います。つまり自己満足ですが、そんなことより協力してくれる人に感謝をして素直に従った方が良いのです。ウォーキングのお手伝いをしてくれている人たちは早く終わりにしたいかもしれません。たかだか私の自慢したい気持ちの為に煩わせることはありません。「ありがとうございます」と素直に従った方が喜ばれるのです。なにかやった後は素直に周りの人に感謝できる人になりたいですね。
「俺は何歳の時にこんなことが出来たぞ」なんていうのは自慢話で周りの人にとってなんのプラスにもなりません。もっと謙虚に振舞って「この人のようになりたい」と思ってもらえるようになりましょう。これが今の私がようやくたどり着いた悟りの境地です。人のいう事を素直に受け入れられるようになって人様のやってくれることに心から感謝できるようになったような気がします。
2025年1月31日 医学博士・歯科医師 林 春二