祐介先生、牟田さんこんばんは。
今年最後の放送になってしまいました。祐介先生、牟田さん、1年間本当にご苦労様でした。この番組のお陰で助けられた人もたくさんいたと思います。また、ゲストで招待された皆様も思い出に残る番組に出させてもらって感謝していることでしょう。
私ごとになって申し訳ありませんが、先日25日に長年頑張ってもらった診療所を閉鎖することになりました。思い起こせば45年前に新築して開業しましたが沢山の患者さんに恵まれました。脳幹出血で倒れる前は午前7時から9時まで、この時間帯にしか来られない患者さんのために診療して、9時から午後7時まで勤務医の先生と普通に診療していましたから、一般の開業医の先生方からすると1.5倍は診療していたことになります。猛烈なものすごい患者さんの人数を診ました。2008年11月16日64歳の時でした。長野県庁のある長野市の老人施設に訪問診療に行っていた帰り道で脳幹出血に襲われてしまいました。
入院は75日に及びましたが現役復帰は難しいのではないかと思われていたのに左半身麻痺を無事に乗り越えて、全く以前と変わらなくなりました。今年は17年目に入ることができ、倅と診療を続けています。
その診療所も老朽化と現在の診療形態に合わなくなっていることから倅の発案で診療所を立て替えることになり、先日ついに新しい診療所が完成しました。私と共に時を刻んできた老診療所は12月25日いっぱいで務めを果たし、翌26日に新しい診療所に移り変わりました。
患者さんは今まで通りの患者さんが通ってくれることになっていますので、新規開業の先生の精神的な負担とは違いますが、長年慣れ親しんだ診療所とお別れかと思うと寂しさもないわけではありません。映画やテレビの画面でよく目にした、高齢になった人が「老兵は死ぬのみ」と寂しげに現場をさっていく姿が自分の姿に重なりました。
また、今年の元旦に突然発生した能登地震では私が今感じているような感傷を抱くまもなく、一瞬の内に目の前にあったものが全て木っ端微塵に吹き飛ばされてしまったのですから、能登の人たちの思いはどうだったのでしょうか。それを思うと気の毒で気の毒で何と言ったらいいのでしょう。一日も早い復興を願うばかりです。
私の作った診療所は古い診察台も建物もそのままで来月の中頃まではありますが、取り壊しが始まると今とまた違う感傷に浸らされると思います。
こうして2024年が幕を閉じると同時に2025年の新しい年が始まるときに私の診療所のバトンタッチがあることがとても不思議な感じがします。
祐介先生、そしてリスナーの皆様、それぞれの皆様にとって元気で活躍してもらいたいですが、老いは一瞬一瞬の積み重ねです。自分の仕事をちゃんと受け継いで周りの人に喜ばれるバトンタッチをちゃんとしておいてもらいたいです。
それでは皆様、良い年を迎えてください
2024年12月27日 医学博士・歯科医師 林 春二