祐介先生、牟田さんこんばんは。
早いものですね。今年の放送も残すところ一回になってしまいました。何回か前の放送で今年の正月に立てた計画はどうなりましたかと聞きましたが、どうだったでしょうか。今日が今年の最後ではありません。あと11日ありますから1日1日を大切にして最後の最後まで頑張り抜きましょう。
今夜はお釈迦さまのことをお話しします。お釈迦様は架空の人物ではありません。今から2500年前インドの釈迦族の王子様として生まれました。成人してから人生について考え釈迦族の恵まれた身分を捨てて「生老病死」の悩みを乗り越えた先にある常に幸せな生活、言い換えると「悟りの世界」を得るための修行に入ります。難行苦行の修行を6年間続けますが悟りの世界は得られません。或る朝、村の娘スジャータが修行しているお釈迦様の姿を目にします。痩せ衰え髪の毛はボーボーでヒゲだらけの姿はしているもののどこか気品が感じられるお釈迦様に、「こんなものでよろしかったらいかがですか?」と手にしていた川の神様に捧げようとしていた、お椀一杯の乳粥をお釈迦様に差し出します。
もともとあらゆる「煩悩」を捨て去り、悟りの世界に入るための修行をしていたのですから、「スジャータの申し出に素直に反応するわけはない」と周りにいた人々はお釈迦様の反応を見ていました。すると「ありがとう」と言ってその乳粥を手に取って食しました。周囲の人々から、「飲まず食わずの修行をあきらめた」という話があっという間に広がってしまいました。ですが実際はお釈迦様の修行の「悟りの世界」の入り口を開けるカギは「人の言うことを素直に受け入れること」だったのです。そして皆様がよくご存知の通り、仏教の世界では誰一人知らない人がいない人になって2500年経ったいまでもお釈迦さまの教えをしっかり受け継いでいる人たちが世界中にはたくさんいるのです。その教えの原点がスジャータという村の娘が差し出した一杯の乳粥を「ありがとう」と素直に受け入れたところにあったということが驚きです。今夜の私の話は、たかだか80歳を超えた町医者の戯言ですから正論だとは言えない部分が多いかと思いますがお許し下さい。
私はこの話のように千年以上も語り継がれることであっても素直になって、心を空にして、素直に人の言うことを聞き、素直に実行することが「悟りの世界」、すなわち「幸せな世界」に通じていることを皆様に信じて欲しいのです。
そこで今夜のこの放送を聴いている皆様は今年の正月に思ったことを、残りの11日間死に物狂いでやってみようと思ってやったら、大晦日の夜は「やりきった。これ以上の幸せはない」という悟りの境地に入れるのではないかと思います。
2024年12月20日
医学博士・歯科医師 林 春二