祐介先生、牟田さんこんばんは。
早いものですね。あっという間に11月に入ってしまいました。暑い暑いと言っているうちに紅葉の季節を迎え、各地から美しい紅葉の便りが聞かれるようになりました。
前回、軽井沢は紅葉する前に葉が落ちてしまい、紅葉が楽しめないのではないかと心配していることを書きましたがホッとしています。山全体をみるとやはり美しい紅葉が見られるようになりました。
世界的に見ても色とりどりの日本の紅葉は特筆物のようです。私たち一人ひとりの力は小さいかもしれませんがこの美しい光景がいつまでも続くように心を配りましょう。
ところで私は自分が20代の頃に名刺に緑色のゴシックで「この美しさをいつまでも」という言葉を添えていました。この頃はこんな名刺は持っている人もいませんでしたし、貰ったこともありません。今から考えると今流行の「SDGs」(エスディージーズ)の最先端の活動を60年も前から始めていたことになります。
その頃から私は原子力発電に反対をしていました。多くの学生たちは「資源のない日本にとってこんなに素晴らしいものはない。そして事故なんか全く起こらないのだ」というのが政府や賛成派の口癖でした。しかし私は、その当時も緊急時に簡単にストップ出来ないものが安全であるはずはないという考えでしたから賛成派の人たちとはよくディスカッションしました。原子力発電所は次々に全国に広まって行きましたが、1979年アメリカ合衆国の、スリーマイル島の事故、続いて1986年のチェルノブイリの事故と起こりましたが、日本の推進派の人たちは「管理が杜撰だから」「日本とは国民性が違うから大雑把なのだ」というわけのわからないことで2011年の福島原発事故につながっていくのです。
日本が立ち止まって方向転換する機会はいくらでもあったはずですが原子力発電信者の皆さんは「中止」とか「廃止」という考えは全くないのではないでしょうか。
2011年3月11日に発生した東日本大震災ですが、7メートルを越える津波の被害だけだったら復興ももっと楽だったはずです。ところがこれで原子力発電所が事故を起こしていなかったらこんなに大変ではなかったと思います。あの事故で生じたデブリ(放射線廃棄物)は880トンもあります。880トンと言っても実感が湧かないかもしれませんが10トン詰める大型のダンプカー88台分です。このデブリを満載に乗せたトラックが一列に並んでいるところを想像してみて下さい。ものすごい量です。しかも放射能がバンバン出ていて近寄ることなどできないのです。大地震から13年経った今でも1グラムもこれを取り出せません。様々な機械を開発して取り出す努力をしているのですが、このデブリに近づくことさえ出来ないのです。
政治家には自分の利権や名誉のためでなく、こうした被害が二度と発生しない政策をとって欲しいと思います。
2024年11月1日
医学博士・歯科医師 林 春二