祐介先生・牟田さんこんばんは。
今年の花の咲き方はいっぺんに咲き、あっという間に散ってしまい、いつもの年とは少し違います。〝光陰矢の如し″という言葉が思い出されます。
若い若いと言っている内にドンドン年が過ぎ、アッという間に齢80を重ねるところまで来てしまいました。あれもすればよかった、これもすればよかった、などと思っても全て時の流れの彼方です。〝覆水盆に返らず″本当にそうです。
こういう言葉も全て若くて何でも出来る時に知ったはずですが、その時、その頃は〝明日やればいい″、〝今度やろう″と思っている内に全て時の彼方に押しやられ、いつの間にか、そんなことがあったことさえ、思ったことさえなかったと、思いだすことさえありません。それでも若い頃はつい後回しにしていても何かの都合で、どうしてもやらない訳にいかないこともあって、イヤイヤながらやったこともありましたが、今となっては全て水の泡です。
つい最近私の相談役であった茂君が73才で終の時を迎えてしまいました。今まではいつでも都合のいい時に押しかけて頼めたものが、これからは全く出来ません。2年前にすい臓癌が見つかり、長い闘病生活でしたが奥さんが保健師さん、同居している娘さんが看護師さんということで、入院はしないで自宅での生活が主で抗がん剤治療の時だけ病院に行くという理想的な闘病生活で私の相談にはいつでも乗ってくれました。
しかし今年の5月になって急に悪化し、終の時を迎えてしまいました。こんな時でもその日の内にやれることを一日伸ばしにしてしまいましたが、ついにそれも出来なくなってしまい後悔するばかりです。すべての可能性がなくなるのが〝死″です。死は無常で、どんな大切なことでも全ての可能性をシャットアウトしてしまいます。愛していようと憎んでいようとです。茂君が天国で安らかに休まれることを祈っています。
不思議なことに昨日75才以上の窓口負担が一割から二割に引き上げられる中止活動で長野に行きました。その帰り茂君の通夜に出るために長野駅の新幹線ホームに行くと既に沢山の人が列を作って待っていました。私は最後尾ですが、更に後から腰が90°近くまで曲がった高齢者が二人の女性に手を引かれながら私の後に来ました。私は手に持っているカバン(その日は珍しく50万円近く入っていました)を自分のいた所に置いて一番前の人のところに行きました。「腰が悪い人がいます。一番前にいれてやってくれませんか」とお願いすると嫌な顔もしないで了承してくれました。その人の後の人にも声をかけすぐにさっきのところに戻り、「一番前の人に頼みましたから、一番前に行ってください」というと何度も頭を下げながら、列の一番前に行き、無事最初に乗ることが出来ました。歩いてはいましたがとても歩けるような人ではありません。もう絶対に歩くことが出来ない茂君の通夜に向かう途中でこの人に会えたのは茂君の大切な一瞬を見逃すなという終の言葉に思えてきました。
2022年5月20日
医学博士・歯科医師 林 春二