祐介先生、牟田さんこんばんは
2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻をして10日間が過ぎました。
罪なき人たちが犠牲になり、幼い子供まで命を落とす戦火の様子は本当に胸が痛みます。
今、世界中の都市で反戦集会やデモが開かれ、戦争反対の声があがるなか、ついに
北京パラリンピックへのロシア、ベラルーシ選手の出場が禁止となり、その波はサッカーやフィギュアスケートなど他のスポーツ界にも影響を及ぼしています。
もちろん、選手に罪はないにしても、もはやオリンピックのような元来の主旨よりも
国威発揚や明らかな政治利用が目立つ近年では「政治とスポーツは無関係だ」という
言葉に説得力を感じ得ることはできません。残虐的侵略行為がいかに国際社会に受け入れがたいかということを、スポーツ界からも示すことこそが真の平和への訴えともなることを忘れてはいけないと思います。
前回のラジオで祐介先生が「日本は平和ボケと言われるが平和ボケが一生続くならそれでも良いが、自分の国は自分で守らなければならにことがはっきり分かった。」と言いましたね。「平和ボケが一生続くなら・・」その言葉はとても考えさせられます。
先日ある番組で安倍元首相が「核シェアリング」「核の共有」についての議論の意義を話しました。そして「世界はどのように安全が守られているかという現実について議論することをタブー視してはならない」と述べました。すると案の定、反対派からは非核三原則論、憲法第9条、そして唯一の被爆国としての、というお決まりの言葉が出てきます。もちろん先の大戦で原爆によって今もなお苦しむ方々のお気持ちは理解できます。しかし、今の日本を取り巻く近隣各国の様相はどうでしょうか。ロシア、中国、北朝鮮は日本全土を射程可能なミサイルを数千発配備し、連日我が物顔で領空、領海侵犯をし、そのすべてが核保有国なのです。私は「目には目を」の論理を推奨しているのではありません。しかし、1967年(昭和42年)今から55年も前に表明された非核三原則は当時、中国も北朝鮮も核をまだ保有していなかった時代なのです。憲法第9条の素晴らしい理念はわかります。しかし、現実には理念や倫理では到底通用しない相手がすぐ隣にいることを私たちは真剣に受け入れなければいけないのではないでしょうか。
祐介先生、ウクライナでは母国を守るために一般人や女性までもが武器を手に戦っていますね。その背景にはNATOやアメリカの様々な思惑がありますが、彼らが命を懸けて自分たちの国は自分たちが守る姿を私たち日本人はどのような気持ちで見ているのでしょうか。
戦争はだれも望むものではありません。決して避けなければならない愚かな行為です。
しかし、自らの命を守ることを放棄し、それを論議することすら封鎖する民族に本当の平和が訪れるとは思えないのは私だけでしょうか。
2022年3月4日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人