祐介先生・牟田さんこんばんは。
2021年2月13日土曜日、夜11時08分。東北地方が震度6強の地震に見舞われました。被災された皆様に心からお見舞いをさせてもらいます。2011年3月に起きた大震災から、ようやく10年を迎えようとする時の災難、命を奪われる人が一人も出なかったことは本当に良かったと思います。
前日の2月12日の夜、レインボータウンFMの「ハロアルレディオ」に関口団長と現地統括責任者の祐介先生と一緒に出演させてもらった時に、2011年東日本大震災の話をしてしまいました。申し訳なく思います。その時もすぐに宮城県の方に歯ブラシ1万5千本、マスク1万2千枚を送った話をしました。全て皆様からもらったものばかりです。そこで私達は一人1万円ずつカンパし、集まった80万円のうち50万円を信越放送(SBC)に、宮城県に15万円、残りの15万円を長野北部の被災地の皆さんに送らせてもらいました。こういうことがすぐに出来るのは、普段からしっかり準備しているからです。こうしても本部と関口団長のところには、この何倍かの物資と次の活動にすぐ使える量の貯えがあります。今までも「日本だって困った人がいるのに、他の国のスラムの支援をしているのか」という声を沢山聞かされました。日本人だから自分の仲間を優先しろと言うことが分からないわけではありませんが、ハローアルソン・フィリピン医療ボランティアは、いつも支援を必要としている人達の支援を考えています。2011年3月11日の大震災ですぐに行動に移せたのもそうです。SBCに届けた50万円は、その後ドラえもん募金になりましたが、当時は震災直後でまだどうなるかわからない状況で、上田支局の加藤支局長に預かってもらいました。SBCどころか長野県でも、どういう支援をしていくかまだ決まっていないため、物資は長野県議会議員の今井正子先生に宮城県議会議員の女性部に届けてもらいました。その時の物資の箱に「ハローアルソン・フィリピン医療ボランティア」というラベルが貼ってあり、現在当会の副団長をしている三浦嘉麿先生の目に留まって、こんなこともしているのかと感激し、以来この活動に精力的に協力してくれるようになりました。
フランスの外交家のポールクローデルは明治時代の日本人を見て、「日本人は貧しい(それはそうです。藁ぶき屋根の家に住んでいたのですから)。しかし高貴だ。この地球上に一つの民族を残すとしたら日本人がいい」と言わしめた明治の人達の立派な子孫が私達なのです。先祖に会った時、恥ずかしくない人生を歩んでみましょう。
この活動は自分のことの前に周りの人のため、特に困っている人、支援を求めている人に精一杯の努力が出来る人になってもらうボランティアです。間違っても「困ったら生活保護がある」というような冷たい考えや、言葉遣いの人にならないでください。それもあって私達は、いつも笑顔を絶やさないようにしています。「笑顔は世界の共通語」であり、「百薬の長」にもなるからです。
2021年2月19日
医学博士・歯科医師 林 春二