祐介先生、牟田さんこんばんは
このお手紙が読まれる頃、すでに安倍総理がご自身の体調問題や今後のコロナ対策を会見されているでしょう。どのような内容かわかりませんが、私は最近のマスコミの報道にほとほと嫌気がさしています。
私の考えが言葉の揚げ足取りなのかもしれませんが、ここ数日「総理の健康不安説」という言葉をよく目にします。どのニュースでも、どのコメンテーターでも、「不安」という言葉を使います。しまいにはお昼のワイドショーの暴慢な司会者でさえ「日本のトップリーダーの健康状態は国民の関心ごと。だから知りたい。会見しないから憶測が飛び交う」などと言うしまつです。確かに、この国のリーダーの健康状況に関心を持つことは理解できますが、一国の最高責任者の健康状態はその国の軍事保有力に匹敵するほどの国家機密であり、それを憶測であたかも国民の総意のように公表しろなどという国は世界中探しても日本だけでしょう。本当にどうかしているとしか思えません。ましてや、たとえ反対思想、アンチであっても、相手が具合悪そうに思えるならまずは「心配」するのが人の道では?それを「不安」という言葉を先に使うのに私はしっくりきません。
不安という言葉は確かに心配と同じ意味を持ちますが、厳密にいえば、不安は自らの心境、立場が安らがない、いわば自分自身の感情。反対に心配は「心」を「配る」と書き主に内から外に向けての感情を意味します。で、あれば、本来なら、「総理の健康心配説」というのが正しいのではないでしょうか。不安なのはまぎれもなく本人でしょう。まあ、そこまでとは言わなくても、だれか一人くらい、「いやいや、確かに多々問題もあり、まだまだ国民は納得しない部分もありますが、この大変な時に体調を崩されているのであれば、それは心配ですね」と一言添えるマスコミもあってもいいようなものでしょう。あまりの報道に小泉環境相は、憶測に基ずく議論や噂、尾ひれがつく状況に「醜いと思います」とおっしゃいました。全くその通りです。
このような風潮は今まさにコロナで差別を受け、憶測や尾ひれで辛い思いをしている人たちと同じことに思います。周囲に体調が悪そうな人がいたら、周囲にコロナ感染で苦しむ人がいたら、まずは自分の不安な心を抑え、まずは相手を心配しないと・・・。
しかし、祐介先生。総理大臣は大変ですね。おそらく日本で最も本音を言えない職種でしょう。それを知っていてこんな時でも野党は同じ議員でありながら鬼の首を取ったかのように喚くのですから・・・。だんだんこの国がコロナの思惑通り「殺伐」としてきたと感じるのは私だけでしょうか。実家に帰省をすれば張り紙をされ、大学でクラスターが出たといえば、その他の学生まで偏見の目で見られ、この国の総理の体調が悪そうものなら、まるで競馬予想のように次の総理を○✕予想する。
いったいこの国はどうなってしまったのでしょうか・・・。
2020年8月28日 ハローアルソン・フィリピン医療を支える会 団長 関口敬人