情
今日は春分の日。昼と夜が同じ長さの日です。ということは正しいことも誤ったことも、どちらでもよいと言うことではありません。正邪が判断されるということでもあります。
今回のコロナウィルスの件ですが、他の国はとも角、日本の判断ややり方がどうかということについても同じです。そもそも武漢であれだけ問題になった時、なぜ中国からの入国をさせてしまったのかと言うことです。次にダイヤモンドプリンセス号の対応と検査のあり方です。これは、神戸大学のエボラ出血熱の治療に参加した岩田健太郎教授がYou Tubeに発表した、安全域と危険域の区分がなされていなかったという水際対策について。その後、2週間イベントなどの中止要請を出した安倍総理の取ったこと、鈴木直道北海道知事の発言を受けて翌日出した、小・中・高の一斉休校要請。どれを見ても一国の長がとる言動としてはあまりにもひ弱な感じです。この原因は総理の抱えている過去の諸問題が全て不信感に満ちているからなのではないでしょうか。
私の周りにもいますが、「自分の今」を語るばかりで「過去」を語らない人が多いのです。指導者の立場の人は今を語るだけでなく、どうして今にたどり着いたのか、消せない自分の過去にスポットライトを当て、どこでやる気スイッチをオンにしたのか語ってほしいです。そのスイッチを押すに至った出来事や、そのときの状況を語ることによって相手に与える影響力は全く違ってきます。総理!偉そうにするだけではなく謙虚も大切ですよ!!
かく言う私にも第二次大戦が終結した翌年1946年、2歳のときに父との死別がありました。以後は母子家庭です。ですからご多聞にもれず大変な生活でした。戦後の復興の中で母一人に育てられ、長野県の片田舎で育ちました。父はいなくなりましたが、父にお世話になったという多くの人達に支えられ「人の情」というものを知り、小学校の頃には困った人には手をさしのべるということを覚えました。特に駅前や郵便局前で、白衣を着た傷痍軍人がアコーディオンを弾いている姿を見ると、気の毒で何かしてやらなければと小銭を渡すくらいしか出来ませんでした。新しい服を買ってもらったときなど、まだ着られる服があるのだから、自分が我慢すればこの人達に何かしてあげられるのにと、やるせない気持ちになってしまいました。たいしたことが出来ない自分の無力さが恨めしく思いました。総理!こういう人の情がわかりますか?
これは、ハローアルソン・フィリピン医療ボランティアに参加した高校生が、治療のアシスタントをしながら手を握ることしか出来ずに、自分の無力さがくやしかったという感情と全く同じだと思います。
たいしたことも出来ない私が自慢できるのはこの思いかもしれません。父との別れ、その後沢山の人から受けた恩、いつか大人になったらその恩返しをしたいという思いが、このボランティア活動の原動力になっているのだと思います。
2020年3月20日